海外へ旅に出ると何が得られるのか?何が魅力なのか?

海外旅行

ミャンマーの遺跡

7ヵ国くらいしか行ってないけど、海外旅行に行くことで得られるモノや、旅の魅力についていろいろ書いてみる。

旅に出ても人生観は変わらない

よく「海外旅行に行くと人生観が変わる!」「世界一周して視野が広がった!」とか、それについての批判とかあるけど、どっちも実にどうでもいいなって思う。海外旅行の醍醐味って、少なくとも俺にとってはそこじゃない。

まあ確かにとんでもない景色をみたり、とんでもなくずる賢いヤツラとバトルしたりするのは、帰ってきてからの生活に大きな影響を与えてくれたけど、「人生観が変わる」ことを期待しちゃうのは違う。というか、人生観って何?って感じだ。

いま現在 関東に住んでいる日本人としては、東日本大震災のほうが人生観の変わるキッカケになった気がする。社会全体も変わったわけだし。

じゃあ何が変わるのか

では、まったく思考や行動が変わらないかと言われると、そうではない。2週間程度の海外旅行でも、色んな気付きはある。とくに自分の中では、「自宅からサハラ砂漠への行き方」が頭の中に具体的にイメージできるようになったことが大きい。

サハラ砂漠のベルベル人

まずは成田に行って、何らかのルートでカサブランカにイン。事前に砂漠ガイドを雇い、スープラトゥールのバスでメルズーガに行ってガイドと合流すれば、サハラ砂漠へ安全に踏み込むことができる。

日本で暮らしていると、目の前のことでいっぱいいっぱいになりがちである。だが、心のどこかに「サハラ砂漠への行き方」を持っておくと、生きるのが少し楽になる。こうした「ガチガチに固まったものがほぐされる」という方向での視野の広がりが、確実にある。

思えば遠くへ来たものだ。東京の自室と、このマラケシュのメディナは、どうやら連続した空間でつながっているらしい。おれが家を出て、そのままの自分でHouse13のベッドに寝ていることが何よりの証明だ。「現在地からマラケシュまでの行き方を理解している」というのは、今もおれの背中に太いものを与えてくれている。とても大きな逃げ道というか、人生の最終兵器のようなものに感じられて、なぜだかとても心強い。

MOTHER2というスーパーファミコンのゲームがある。世界各地の「自分の場所」を集めて、主人公がちょっぴり大人になっていくストーリーだ。おれもそうやって、「自分の場所」を集めるために旅をしている気がする。

旅の魅力

その旅で自分が感じたことは、誰も知らない 

そこに行った日本人が自分だけというわけではない。実はガイドブックに載ってたり、どこかのブログで書かれているかもしれない。ただ、自分の感性で、自分の目で、自分で歩いたことは、自分だけのものだ。同じ道を歩いたとして、まったく違う景色が見えているはずだ。あなたの旅の記憶は、誰にも色付けされることはない。誰にも奪えないのだ。これだけは、日本では、特に東京では何度も体感できるものではない。食べログやGoogle Mapsのピンで埋め尽くされた、答え合わせの歩行とは違う。

リスボンの街並み

あのニャンウーウー村の夕立のぬるさや、メルズーガのハサンの家で食べた夜食の塩っけ、ロンダの隠されたカフェの涼しさは、誰も知らない。

アウトプットをしたくなる

だからこそ、旅は特に日記を書いたり、詩を書きたくなる。少し大げさかもしれないが、それこそ人間の、人間らしい、生命の行為であるように思う。会社と家を往復して、休日に消費行為をしているだけでは忘れがちだが、自分のような人間は芸術を生産してこそ初めて生を感じることができる。

自分の人生をどう使うか、いつも考えこんでしまうが、海外旅行に時間と金を注ぎ込む自分の今のスタンスは、数少ない正解のように感じられる。初めていく場所で、初めて見る食材を口に運び、その街の温度や湿気を感じるときこそ、確かに自分が生きている瞬間だ。

日本だろうと海外だろうと、そういう時間をなるべく長くとれるように生きていきたい。

この記事を書いた人
七里ガ浜で笑う筆者

Mediumbuddha

1989年、北海道札幌市生まれのインディ音楽ナイスガイ。

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2018年12月13日海外旅行