その夜、池袋の居酒屋でサハラ砂漠行きを決めた

エッセイモロッコ, 池袋, 海外旅行記

2011/11/01 – Tokyo, Japan

2011年11月、22歳だったオレはこじらせていた。こじれきっていた。

自分の人生を生きたかった

当時のオレは、神奈川県在住の大学4年生(休学中)。友だちと会うのはもっぱら東京の池袋で、1時間ほどかけて出向いていたあの頃。今よりもずっと自信がなかったし、狭い世界で生きていた。

その夜も自信がなかったし、狭い世界で生きていた。「6人ぐらいで飲むから、池袋にこい」とメールが来たので指定の場所に行ったところ、そこには誰もいない。電話で聞いてみると、自分にメールをしたあとなんとなくの流れで中止になったが、連絡するのを忘れていたらしい。

練馬の居酒屋「金ちゃん」

なんだか、とても悔しかった。オレは自分の人生を生きてないんだな、と感じた。10段階評価で言うとせいぜい3か4くらいの楽しみを他人の予定に左右されるその矮小さに、驚くほど落ち込んだ。

その夜、池袋の居酒屋でサハラ砂漠行きを決めた

そして、モロッコ行きを決意した。雑誌でサハラ砂漠の写真を見て「いつかは行きたいな」と思っていた。しかし、その願望にはまったく根も土台もない。なにせ自信も金もないオレにとっては、北アフリカのイスラム教徒が暮らす砂漠の国は、火星よりもずっとずっと遠く、現実味がなかった。

ただ、あの夜だけは「いま、行かなくては」と決意が心のそこから湧き上がった。自分の人生を自分の手に取り戻す第一歩として、周りの人間が誰も行ったことのない場所に行かなくてはならない。同調や共感とはまったくかけ離れた、自分だけしか知らない事や場所、ある種の孤独が必要だった。

海外旅行用のバックパック

そして、旅をする

4日間、砂漠で寝食をともにしたベルベル人はスペイン語しかしゃべれずボディランゲージでしかコミュニケーションがとれなかったし、マラケシュの商人はみんな笑顔で徹底的にボッタクろうとしてきたけど、モロッコを歩いた2週間は幸せだった。

サハラ砂漠とジャンプするベルベル人

あの時のオレは、間違いなく自分の人生を生きていたと思う。相変わらず自信はなかったが、広い世界ではそれはどうでもよかった。

ポルトガル・シントラの城

さらに月日が経った今、その頃よりもっと自信があって、広い世界に生きている。そこに至るまでの記録を、これから書いていこうと思う。

この記事を書いた人
七里ガ浜で笑う筆者

Mediumbuddha

1989年、北海道札幌市生まれのインディ音楽ナイスガイ。

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2018年12月12日エッセイモロッコ, 池袋, 海外旅行記