エッサウィラでマラケシュと違うタイプのモロッコ人たちと出会い、生まれて初めて大西洋を見る
2012/02/13 – Marrakech ~ Essaouira ~ Marrakech, Morocco
【2012年2月12日為替レート】1 MAD = 9.20185 JPY
モロッコ滞在3日目は、日帰りでエッサウィラへ。同じモロッコでも、街が変われば人が変わる。出会いとNOKIA TUNEのおはなしです。
3日目・朝
オレンジジュースが駆け抜ける
朝早くRiad House13を出発して、マラケシュ駅近くのCTMバス乗り場へ。
昼も夜もたくさんの人が集まるメディナだが、朝はとても静かで爽やかだ。どこかに働きに行くひと、だれかを待つひと、昨夜のごみを片付けるひとが、口を開かずに交差する。屋台の湯気や人々の熱気がないこの時間は、2月の肌寒さとあいまってどこかさみしさすら感じる。
道中、ジャマエルフナ広場でオレンジジュースを飲んだ。空腹感や眠気でドロッとした身体に、柑橘のきらめきが駆け抜ける。午前8時に屋台を独り占めして飲むあの液体が、世界で1番美しい。
マラケシュからエッサウィラへは200kmほど。CTMバスの座席はとても快適である上に、ストレートな道を100km/h以上で飛ばすため、途中でトイレ休憩をはさんでも2時間ほどで着いてしまう。
車内で朝ごはんを食べる。待合所のキオスクで買ったガルモパンのチョコレートビスコッティ、サクサク甘くておいしい。
参考サイト:CTMバス・ホームページ(2011.10.25) – Riad house13
ファーストステップ オン エッサウィラ
午前11時30分、エッサウィラに到着した。CTMのバス停留所から沿岸部の観光エリアへは、徒歩で5分ほどの距離だ。
エッサウィラは空の青さと建物の白さのコントラストが美しい。街全体に港町特有の無骨さがあり、ここでの生活が内陸部とちがった姿形をしていることがすぐに理解できる。
または、友人として
マラケシュと比べると、商売っ気のないのも特徴だ。裏路地でいきなり中年男性に話しかけられ、モロッコ口紅の「アケール」をもらった。どうやら、近くの商店の主人らしい。しかし強引に客引きされることも、金銭を要求されることもなく、「エッサウィラを楽しんで!」と言い残して店に戻ってしまった。
観光通りではカバン屋を営んでいる若者たちと出会った。英語の通じる店員がいて、「新しいバックパックがほしいんだ」と話すとスタッフ総出で店の中を引っかき回して探してくれた。打ち解けた店員が「オレの家に泊まりなよ!君はエレキギターが弾けるんだろ、おれがアフリカンギターを教えてやる!」と誘う。「今日は日帰りなんだ、ネクストタイム!」と断る。あのときのことを思い出すたびに、エッサウィラへ戻って「ネクストタイム」の約束を果たしたくなる。
別のストリートでは、オーストラリア大学を卒業したという靴屋の店員と出会った。語学堪能で学のある彼だが、大学院まですすむ学費がなくモロッコに帰ってきたらしい。同行者がバブーシュを買ったついでに、オススメのランチスポットを教えてもらうことにした。
3日目・昼
ランチはフィッシュヘル
「シーフードでいいか?」
彼は友人がやっているという店に案内してくれた。
「ここはフィッシュヘルだぜ、エッサウィラは魚がいくらでも獲れるからな」
靴屋から徒歩5分くらいで、いくつかのお店が並ぶ開放的な広場に着いた。彼の友人に案内されて、席へ通される。クスクスと、オススメの料理を注文した。
トマトとオリーブのサラダ、レモンをたっぷり絞ってパクチーを添えた青魚のグリル、野菜たっぷりのクスクス、かためのプリン。いわゆる観光価格ではあったものの、大満足の内容であった。
野良猫が足元から料理をねらう。フランス人観光客が餌付けをしているためか、人間慣れしていてグイグイと寄ってくる。
あなたの旅にも絵をそえて
エッサウィラはボブ・マーリーが愛したアートの街としても有名である。毎年6月には「グナワ・フェスティバル」という、大規模な音楽フェスが開催される。CD屋に立ち寄ると、ここ数年分のコンピレーションアルバムがあったので、いくつか購入した。そのうちの何曲かは今でも何度もリピートして聞いており、我が音楽人生に影響を与えたアルバムであることは間違いない。
音楽だけでなく、絵画も盛んである。海沿いの通りにはギャラリーが立ち並び、歩くだけでも様々な画風のアートを楽しむことができる。
旅先で絵を買うのが好きだ。空気感や石壁の感触、伝わらなかった英語のこと。記憶のメインストリームにない細々としたことを、その土地の絵を見ると思い出すことができる。旅した街のことを、多面的に思い出させてくれる。
この日は、小さな絵とストーンアートを売っていたAfroguというアーティストから絵を買った。彼の奥さんも絵描きらしく、ストーンアートは彼女の作品らしい。エッサウィラの情景が手頃なサイズのキャンバスに描かれていて、とても気に入った。
少しの英単語で、たくさんのことを話してくれたナイスミドルのAfrogu。彼は今、どうしているだろうか。Gmailのアドレスを紙に書いて渡してくれたが、日本に帰るまでに紛失してしまった。
マイ アトランティック
Afroguのいる場所から少し通りをすすむと、海の見える砦に出る。そこでおれは生まれて初めて、大西洋をこの目で見た。
「この海は、今まで見た海のどれとも違うのだ」という事実に、かかとから頭のてっぺんまで興奮した。目の前の海をまっすぐすすめばアメリカ大陸に突き当たる。自分の背中には、ひたすらアフリカ大陸が広がっている。その境目に、いままさに自分は立っている。
その後は、立ち並ぶ大砲をひたすら撫でてまわり、見張り台に続く階段を行ったり来たりして、バスの出発まで時間を潰した。
3日目・夜
NOKIA TUNEに包まれて
CTMバスに乗り、マラケシュに帰る。
モロッコ人はおしゃべり好きが多い。ストリートで、カフェで、街なかで顔なじみと合えばおしゃべりしている。そんな彼らのことだ、携帯電話があれば友達と通話しまくる。バス移動に文句はないが、隣の席のおばちゃんがアラブ語で、大きな声で通話するのには耳と精神が疲れてしまった。
2012年のモロッコではNOKIAの携帯電話ユーザーが多く、デフォルトの着信音がバスの中でもお構いなしに鳴りまくっていた。今でもNOKIA TUNEを聞くとあのときのことを思い出して、ちょっとだけ腹が立つ。
モロッコ人はほっとけない
バスは夜にマラケシュ駅へ到着。そこからタクシーでジャマエルフナ広場へ帰ろうとした。
すると、フランス人カップルがモロッコ人のタクシー運転手と言い争いをしていた。そこへ別の運転手が仲裁にくる。おれも仲裁を、ともうひとりやってくる。「どうした、どうした」と別のモロッコ人が寄ってくる。こんな調子で、誰かがケンカをしているのを黙ってみていられないのがモロッコ人なのだ。そのうち、集まってきたもの同士でケンカをし始めたりするので、ワチャワチャとよくわからないことになる。
ジャマエルフナのヘナレディ
ジャマエルフナ広場に着いて、屋台で軽くご飯を食べる。その後、ランプを売っている若い職人がいたので、少し値切って小さいランプを買った。するとそれを見ていた彼の母親が、同行者の手を掴んでグイーー、グイーーとヘナタトゥーを入れ始めた。
旅行客(女性)の手をつかんで、じっと目を見つめながらアラブ語でなにか語りかける。そしておもむろにヘナタトゥーを入れるのだ。すごい剣幕なので、始まってしまうと意外に逃げられない上、けっこういい値段を払わされる。
「まあ、いい思い出かもね」と笑って、Riad House13に戻った。
ターバンを教えて、わたしに
Riad House13のリビングにモロッコ人スタッフのアリさんがいたので、彼にターバンの巻き方を教わった。明後日からのサハラ砂漠にむけて、自分で巻けるようになっておきたいと思ったのだが、これがなかなか難しいうえに、似合ってる気がしない。アリさんから「まあいいんじゃないか」というモニャモニャした評価をいただき、その日は就寝。
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